IL__色がすごく気になったというのは、ものを面で捉えるようになって色でも形を作れるという風に考えたからなのでしょうか?
RA__そもそも全然、色があるっていうことに気付いてなくて。それに気づいたんですよ。見えてなかった。面とかも全然見えてなくて、だんだん見えてきた。
IL__確かに初期の頃はモノクロの作品というイメージがあります。パッチワークのような作品を作り始めたのも、その時期からですか?
RA__そうですね。色が見えてから。服とか布って元々色がついているから、それを絵の具のような感覚で使ってみて。
IL__それ以前は別のことに興味が集中していたのかもしれませんね。
RA__イメージがどうあるかに興味があったんですけど、展示をし始めたら空間があるっていうことに気がついてきて。空間があるから描いた絵をインスタレーションできる面白さがある。そこからまた色もあるんだなって思って。色ってすごく空間に出てくるもので、小さいドローイングは紙の中に入っていくものなんですよね。インスタレーションをやり始めると空間に対して働きかけるものがあるというのをすごく感じ始めて色に興味が出たのかもしれません。
ZI__本も作ってたんですよ。
RA__小さい本です。本はすごくドローイングに近い、絵に入っていくイメージ。
ZI__空間がいらない世界というか、絵本でも例えば登場人物が出てきたらそこに空間があっても意味ないってことだよね。本が壁にかけてある必要はなくて、本の中の図像と自分が関係を結ぶ時に空間はむしろ邪魔なんだけど、それを空間に置くとなると、その空間の構成素材になる図像の線とかそういう要素に興味が移ったんかな。
RA__そうかも。でも本にはインスタレーションと似た要素もあって、複数枚の絵を連続して見せる事が出来て好きだったのかもしれません。
IL__他には粘土の作品も作られていましたよね。確かワタリウム美術館での展示*1で見た記憶があります。
RA__粘土もやってたんですけど、(自分が)すごく平面的な人間なのでレリーフみたいにしかならないんですよね。ただ、膨らんでるっていうのは面白いですね。指で描く感じとかもコンテとかと一緒で、すごく似てると思う。壁に貼ってあるペラっとしたドローイングも本当は同じなんだけど、少し膨らみがあるだけで空間がある事を意識する事ができるような気がします。でもやっぱり線的な要素が強くて立体になりきらず、レリーフになるという。
IL__やっぱり輪郭でものを捉えているんですね。
RA__癖だと思います。でもその癖を外していきたいというか、絵を描いていて一つの見方しかできないんじゃなくて、新しい見方を発見できたらすごく嬉しい。作って、始めに自分の頭がこうでしょって思っているものじゃないことを発見したい。
普段気をつけていても、考え方に癖が出たり、思い込んでものをみたりしてしまうと思うので。人間としてスムーズに生きていくには仕方ない機能でもあるのかもしれませんが、弊害もあると思う。絵を描く事はそういった癖を外す練習みたいな感じでもあります。
IL__作品とそれ以外のこと、例えば日常生活との関係についてもお話を伺いたいです。というのも、以前青木さんの整理整頓についての作品*2を見た時に、片付けや身支度といったような普段生活をする上で行う行為が作品に反映されていて、制作行為とは何だろうと考えさせられました。青木さんにとって、どこからが作品になるという意識はありますか?
RA__確かにあるにはありますね。こっちにいったら作品みたいな。でも、つなげておくというか…。それで、ある時にパンってそっち側に行って成立するのがすごく面白くて。何でもかんでもそうなるわけじゃないけど…そうなる時がある。それが何かって言われると、難しいですけど。
IL__それは作品を作っている時に起こるのでしょうか?
RA__絵でも、なんか立ち上がったみたいな。立てた、みたいな感じ。
ZI__カレーとか作って塩が足らんなとか、色々してたらなんかできた、みたいな?
RA__人って普段カレーを作っていても、なんか考えるって事とか、なんていうか、食べるためのカレーを作る以外の行為を同時にしていると思うんですけど、そういう目の前の目的とは違う部分が形になって現れた感じです。
IL__そういえば以前、箱の中に箱があるような作品の説明をされていた時に「どっちが内側でどっちが外側か分からなくなる」というようなことを話されていました。例えばそのような変な状態というか、瞬間というのもありますか?
RA__何をしている時でも、どっちにいるか分からない状況っていうのはよくありますね。多分整理整頓が苦手なんだと思うんですよね。
ZI__でも(整理整頓)好きやんな。
RA__そう(笑) すごいこだわってる。けど結局普段は整理できてないと思うんですよ。ドローイングする時も最初は頭の中がぐちゃぐちゃしているというか、絵を描くという工程の中にいるような感じで…。例えば四角を描いて、ここは中だけど、別のところに線を入れたらこっちが外になって、どっちが外か中なのか整理しようとしてるんだけど、分からなくなって、また整理して…っていうのをずっとやってるんだと思います。この引き出しにこれを入れるのが正解だって思って、一応決めるんだけど、やっぱりここじゃないんじゃないかみたいな。
IL__それは永遠に終わらないですね…。
RA__そういうことやってる間に、なんか整理整頓できた!みたいな…。なんか普段ビジュアルの雑音みたいなものに晒されている感じがすごくある。でも絵を描くと、それがちょっと整理されるというか。雑音が消えるような感じがして。
IL__一旦それについて考えてみる、みたいな感じでしょうか。
RA__そうですね、止まってくれるから見ることが出来る、みたいな。そうしていると、整理整頓とか料理とか日常に差し迫る課題みたいなものと、もう少し大きな世の中の問題と、絵の中で起こっていくことがリンクして考えられる事もあって、私の場合は作る事で日常のメンテナンスが出来るような感覚があります。自分にとって作ることは困難な問題に立ち向かうための手段というか、そういう側面があると思います。
個人的な日常の意識が自分以外の世界とどこかで繋がっている、そのどこかにピントが合った瞬間が作品が出来たと思える時なのかもしれません。
IL__ドローイングの他にはアニメーションも作られています。水彩による複数のドローイングをコマ送りにしたアニメーションを以前拝見しました。アニメーションを作った時はどのようなことを考えていましたか?
RA__絵を描いている時って、一枚の絵を描いているのと同時にそれができていく過程をずっと見ているという感覚があって。出来上がった絵は一点しか見れないけど、その途中に何枚もある絵を見れるっていうのが面白くて。
ZI__アニメーションというか、ものを動かして描くみたいなの苦手やなかったっけ。
RA__ものを動かすために作業の工程を決めないとなると、そういうのは結構しんどいんですよね。だからどちらかというと苦手なことを克服するためにやっているというか。わかってる工程を見てしまうと、せっかちなのかすぐ次に行こうとしてしまって。丸い形が三角になる動きがあったとして、三角になるってわかったらそれに逆らってしまう。
だから工程を決めて形を動かすようなことは自分には向いてないと思ったんですよね。それで最近になって絵の具でやってみたら絵の具が動いているのを見ているという感じで、ちょっとストレスが減った。多分すぐ先のことを考えてしまうのも癖だと思うんですが、それをしない、ずっと楽しめる方法を考えていて。
IL__先が見えてしまったら作品としてあまり良くない、もしくは失敗ということでしょうか?
RA__そこで自分の発想を締め付けないというか、もうちょっと出来上がってくるものを見ようっていう風になるのかな。頭で考えたビジョンを外にそのまま出すというのではなくて、出来上がったものを見て驚きたいです。
自分の考えって分かりきってることだから、それが多分自分にとってはすごくつまらない。だから自分で考えてはいるんだけど、自分の発想から出てこないことを求めてるんだと思うんですよね。でも完全に自分の外に任せきるのでもなくて、やりとりしながら引き出していくみたいな。
その外っていうのは画材だったり空間だったり、普段目にする事柄だったり、何もないところからは起こらなくて。自分がそれに働きかけたら、それが反応して、またこっちから押したら向こうが起こってっていう繰り返しでできていくみたいな感じですね。