「絵画を語るのは難しく、その存在を認識されるのはさらに難しいことだ」
マルクス・リュペルツ(1941年生まれ)は、具象と抽象の両方を取り入れたアプローチを展開し、絵画に新しい美学を創造しようとした戦後ヨーロッパ画家を代表するアーティストの一人である。リュペルツの代表作のひとつに、絵の具で彫られたような擬似的な形態を描き、抽象的な色のブロックを散りばめた「dithyrambic (酒神礼賛)」シリーズがある。「Dithryamb (ディシラム)」とは、古代ギリシャの豊穣と快楽の神ディオニュソスに捧げる恍惚とした捧げ物のことで、リュペルツが大規模でエネルギッシュな絵画を制作するためにスタジオに持ち込む即興性と自発性の精神を表している。本インタビューでリュペルツに、彼の初期の作品、モチーフの使い方、絵画に対する考え方について、話を聞いた。
INDIA NIELSEN__新型コロナウイルスのパンデミックがヨーロッパを襲ってから約2年が経ちました。この経験は、あなたにとってどのようなものでしたか?
MARKUS LÜPERTZ__コロナは病気ですから向き合わなければなりません。それ以外は日常生活と変わりません。
IN__15歳でドイツのクレーフェルトにあるアートアカデミーに入学されたそうですが、なぜそんなに若くして入学されたのでしょうか?
ML__画家になることを私は決めていました。ですから、それを実現するためにできることをしただけです。
IN__またデュッセルドルフ芸術アカデミーにも1学期だけ通われたようですが、退学させられましたね。何があったのでしょうか?
ML__不真面目な態度でしょうか・・
IN__人生の大半をアーティストに囲まれて過ごしてきたことで、狭い世界の中で作品を作っているのではないかという不安はありませんでしたか?そこから抜け出すために、何か工夫をされましたか?
ML__私は幸運なことに当初から今日まで、絵画の分野で強力な競争相手に恵まれてきました。絵画は学問であり、競争は必要条件ですので、それなくして学問の花を咲かせることはできません。
IN__イギリスの画家ピーター・ドイグとの対談で、あなたは、アメリカの抽象表現主義者たちの最初の展覧会(1958年と1960年にそれぞれベルリンアカデミーで開催されたウィレム・デ・クーニングとフランツ・クラインの展覧会)を見て、絵画の「新しい方法」を啓示するものだったと述べていますね。あなたの絵がドイツ的であるだけに、このニューヨーク派と呼ばれる画家たちの影響を受けたと知って驚きました。これらの展覧会は、あなたにどのような影響を与え、その結果あなたの作品はどのように変化しましたか?
ML__視野が広がり、新たに自分がすべきことを目の当たりにしました。私の作品における原動力は変わっていませんが。
IN__それから間もなくして、1960年代初頭あなたはドナルドダックシリーズの制作を開始されました。ワーナーブラザーズのキャラクターと似ているのは目や口があることくらいで、原色で描かれた抽象的な人物像が特徴の大規模なシリーズですよね。内容的にも、他の作品と比較して際立っていますし、アニメのキャラクターをモチーフにした作品は、私の知る限りこのシリーズだけだと思われます。ドナルドダックをレファレンスしてモチーフに意識的に選んだのは、アメリカのポップカルチャーに影響を受けた結果だったのでしょうか?
ML__はい、ドナルドダックはアメリカ文化を意識的に歪曲して表現したもので、私の画家仲間の多くがそれに倣いました。後に私はやめましたが。
IN__またこのドナルドダックの絵は、あなたにとっては最初のシリーズ作品でもあるようですね。この作品を制作した時点では、ニューヨークで誕生した、ポップアートから影響を受けたのでしょうか。例えば、アンディ・ウォーホルの『キャンベルのスープ缶』(当時製造されていたキャンベルの缶スープの32種類の味に対応してスクリーン印刷された32枚のキャンバス)は1962年に発表された作品です。ドナルドダックのシリーズも同時期に制作されていますね。このタイトルからは、ウォーホルと同じように、均一性や大量入手性を重視する連続性へのアプローチがうかがえます。
しかし、タイトルとは異なり、描かれているキャラクターはドナルドダックとは似ても似つかないですよね。なんとなくキャラクターを喚起させる配色を使って人物が抽象的に描かれています。これは、抽象表現主義から影響を受けたことによって、当時のニューヨークのアートシーンで台頭してきたポップアーティスト、特にウォーホルに反発していたということでしょうか。
ML__私の理解では、初期のウォーホルの作品は、当時はまだ絵画の学問の一部だったのです。その後シリーズ化された作品を主に作るようになり、彼の作品が学問のルールから遠ざかったことで、私はウォーホルのキャンバスには興味がなくなりました。それ以降、彼の作品は私にとって絵画ではなく、写真になったのです。