IL__私がハートリーさんの作品を初めて知ったのは、2011年にV22で開催された、イギリスを拠点に活動する若手アーティストに焦点を当てたグループ展「Young London」のカタログでした。「Young London」では、ペイントされた紙と樹脂で作られた大きな彫刻作品を、絵画作品と一緒に展示していましたね。また、2016年にFoxy Production(ニューヨーク)で開催されたハートリーさんの個展「Relief」では、スポンジや着彩された紙など、絵画を制作する過程で生まれたような素材で作られた彫刻が、絵画作品と一緒に壁掛けで展示されていましたが、それらは互いにリンクし合っているのでしょうか?
GH__彫刻と絵画は常に隣り合っていて、互いの動向によって変化しています。彫刻と絵画を流動的に使い分けている時期もあれば、絵画のみに集中している時もあります。彫刻だけを作っているということはまずありません。
どちらも床の上で制作しているので、プロセスは関連していると感じます。彫刻作品は、布張りしたウレタンフォームを樹脂に浸して作ります。大きなバケツに樹脂を入れて、ウレタンフォームに染み込ませたら、それらを床に並べて形を作っていきます。ここの過程が一番ドローイングに近い感覚です。 形が決まったら、固めます。その状態は僕にとって筆跡のようなもので、固めることで時間が止まったような感覚になります。
IL__なるほど、イメージが浮かんだ瞬間に凍結させる感じなんですね。
話は少し戻りますが、展示する場所の光の加減の影響によって、表面の見え方が大きく変化したり、まるで生き物が呼吸してるかのように見えるのは、ハートリーさんの作品の特徴の一つであると思いますが、そういった有機的な要素を作品に取り入れることは意識していますか?
GH__おお、それは素敵な感想ですね。 僕は、作品が持つ個性のどの部分が変化して、どの部分が変わらないのかを探っていくのが好きです。
「見る事」についての話に戻りますが、僕の作品の写真からは有機的な要素は見えてこないかもしれません。スクリーン上で僕のペインティングを見ても、あなたが言ったような振る舞い方はしないでしょう。作品を見る立ち位置や焦点の合わせ方、物理的に対峙すると、ある種のレイヤーが見えてくるのです。あなたが「OF」で見た作品は、さまざまなドローイングのレイヤーで構成されています。そこにはいくつかの焦点があり、見る角度によって異なるイメージが明らかになっていきます。
これらのポストカードやフォトグラフ・ドローイングシリーズは、制作過程の中でも、最初の生状態です。(テーブルの上に積まれたポストカードの山を指しながら)これらとドローイングが制作の始まりとしてあります。
建築物のディテールや水面に映る光のドローイングなど、ドローイングや写真作品の複数のパーツを絵の中で組み合わせることがよくあります。複数のイメージがどのように混ざり合うかが重要なんです。重ねられて、混ざり合っているので、焦点が変わると、背面にあるものが前面に出てきたりすることがあります。名前はわからないけれど、何かを見ていることを知っているという感覚が残るような感じです。
IL__なるほど。8月7日からim laborで開催される個展は、このポストカード・ドローイングシリーズにフォーカスを当てた展示ですよね。本日は、シリーズの一部を持ってきて頂きましたが、一部といっても500枚以上はありそうです。それに、ポストカード以外にも、写真の上に絵が描かれているものもたくさんありますね。これらのシリーズはいつから始められたのでしょうか?また、これらは、ハートリーさんの活動の中でどのように機能していますか?
GH__今から15年ほど前、ロイヤル・アカデミー・オブ・ジ・アーツに在学中に、ポストカードに直接絵を描いたのが始まりです。BA(学部)時代にポストカードを使った絵画は既に制作していたので、実際にはそれ以前からポストカードは身近な存在でした。
長い間、ポストカードの作品と絵画の作品は共存していて、ポストカードの作品に描いたイメージが、裏側から絵画の表面に入り込んでいるような感覚です。最近はより直接的に引用していて、実際にポストカード・ドローイングを下絵として絵画を制作したり、習作のような形で使っています。あとは大きな版画も作っていて、それもポストカードやフォトグラフ・ペインティングと同じような位置付けにあります。
フォトグラフ・ドローイングは去年くらいから始めました。僕は街で見かけたものや、気になったものの写真をiPhoneで常に撮っていて、それらを全部プリントアウトしたいなと思ったのがきっかけです。でも流石に枚数を考えると、全部印刷するのは現実離れしているというか。なので具体的に使おうと。それで、ポストカード・ドローイングのように写真を扱うようになりました。写真は、ポストカードと比べると、水族館に行った時の私の娘、スタジオでの失敗作の彫刻、僕がプレイしていたチェス、サクランボが入ったボウルなど、個人的な情報が多く含まれています。
IL__15年、長いですね。ポストカードの裏面に実際に使った痕跡が残っているのがいいですね。
GH__そう、いろいろな人の物語が垣間見えるのがいいんです。でも、それ以上に、ポストカードに印刷されたイメージそのものが重要なんです。カードのサイズ、紙の種類、印刷の色など、物理的な性質に興奮します。それぞれの作品のタイトルは、ポストカードの実際のタイトルを引用しているので、タイトルを見ると常にオリジナルのイメージに戻ることができます。
IL__ハートリーさんの絵画作品にも言えることですが、ポストカード・ドローイングの画面の質感は非常に独特ですね。火で炙ったようなものもあれば、紙やすりで研磨したようなものもあります。
GH__基本的に、イメージを破壊したり、やすりで削ったり、焼いたりして、再構築するんです。再構築することで、新たな存在感を得ることができます。以前、破壊してから再構築することについて、あなたの作品の話について質問した時、興味深い話をしてましたね...。
IL__私も絵を描いていますが、イメージを破壊してから作り直すことはよくあります... 微弱な線や点を指標にして、削ったり、塗り重ねたり、描き直したりする行為を繰り返すことで、イメージに必然性が生まれるというか、強度が増すような感覚を勝手に感じているだけなんですけど...
ハートリーさんの作品には、そのような破壊と再生の繰り返しの痕跡が多く見られますね。
GH__必然的である、って良いですよね。何かを語りかけてくれるような。