IL__絵画とインスタレーションで分かれてきているというか、最近は別のものになってきているのでしょうか。
YM__インスタレーションと絵画…そうですね。どうしても空間を意識して構成するので、たとえ絵のみを展示しても、その順番で並んでいる必要がありますし、インスタレーションのように思えます。ただ、美術館で展示する時はいいかもしれませんが、ギャラリーなどで販売も伴ってくるとなると、「インスタレーション」と「絵画」で分けるというのが自分の中で今はしっくりきていますね。
IL__「KEN&Peace」のように絵画とインスタレーションの展示では、展示した絵画の文脈に沿ったインスタレーションを制作したのでしょうか?
YM__「絵が置かれる空間を作る」ような感じです。「KEN&Peace」の時はHIGUREの奥行きのあるスペースをダンジョンや神殿に見立てて、ゲームをコンセプトにした展覧会をつくろうみたいなのがあって。いつもその場所を見た時に、ここで何をしようかなと考えます。今回のimlaborも、もともとは接骨院だったとのことで、その空間の特色から診療所のイメージで作品を展開しようと決めました。
というのも、過去の作品ではずっと野外で作品を作っていたので、サイトスペシフィックなというかその場のものを利用するような性質が自分の根底にあるような気がしています。初めの頃はそれこそホワイトキューブに対する抵抗感を表したようなものを作ってしまっていたのですが…続けているうちにだんだんそれがやってもしょうがないことのように思えてきて。そういうのがぐるっと一周したような感じはあります。
IL__確かに、室井さんが大学に入ってすぐの頃はグラフィティや、それこそアースワークのような活動をされていましたよね。その頃はどういったことを考えていたのでしょうか?
YM__大学に入る前の頃、確か2008年ぐらいに、スプレーで描くのではなくオブジェクトを置いたりだとかっていうポスト・グラフィティのような動向が話題になっていました。ちょうどその時期に予備校生だったので、いろんな文献を漁ったり、シンポジウムを聞きに行ったりしました。
ただこれはあまり語られていない部分なのですが、グラフィティって違法であるけどそれが表現として成立しているというところがあって。自分はむしろ違法であるということに執着がなかったので、いかに合法的に表現をするかみたいなことを探っていました。自然物にできるだけささやかに介入して、それが時間経過とともに消滅していったりだとか。それも合法とは言えませんが。もちろんグラフィティのアナーキーなところはカッコイイと思っていましたし、それが本質なので、プロジェクトベースで作品を制作することにはまったく興味が湧きませんでした。
ただ、大学というアカデミックな場所に入ることで、そこでグラフィティのような行為をやること自体に自分の中で矛盾が生じてきて、徐々にできなくなっていきました。
IL__なるほど。そうした野外での活動の他にも影響を受けたものとして、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートなどがあると以前話をお聞きしましたが、そうした表現と自分の作品の関係について伺えますか?
YM__グラフィティと並行してアール・ブリュットやアウトサイダー・アートに対する関心もずっとありました。けれど、美術大学に入ると、そういった作品から影響を受けたり模倣したりすることへの疑念が湧きました。
アール・ブリュットの作家たちは美術大学に行かなくても‘それ’を描けているのに、自分が美術教育を受けた上でそういうものを描くのはすごく嘘くさい。だから自分の居場所を客観的に見た結果、アカデミックな現場なりのアール・ブリュットを目指すことにしました。学部の卒制(「自由の錬金術」)はそういったジレンマを解決したくて制作したものです。
ただ、そうやって制作を続けていても、影響を受けるという意味で自分がある種搾取してしまっているような感覚からどうしても逃れられませんでした。なのでどうしたら本当のアール・ブリュットになれるのかということを考えた結果、学部を出たあとはそのまま大学院には行かず、労働者になろうと思って働くことにしました。これもまた過酷な労働経験ありきで制作をおこなったアール・ブリュットの作家、マルティン・ラミネスの影響だったりもしますが。
IL__でも実際に働き出してから、作品にも変化があったように思います。「KEN&Peace」なんかは、特に作品の変化を感じたのですが。
YM__表現をするための切実な理由を見出せるようになってきたのかな、とは思います。個人的なところで。それまではもっと制度とか自分の外部に対するものが多かったんですけど。労働者になるっていうのも、アカデミックな美術の制度に対しての自分の態度でした。しかし、むしろそういう労働者に対する自分の見方自体にもまた罪悪感を覚えていました。
彼らは彼らで信念を持って仕事をしている一方で、自分はそうした仕事を作品のためにやっているような。そこから、最初はすごく自分が職場の中で乖離していたような存在だったのが、どうしたらそこに馴染んで、うまく適応していくことができるかというように考えるようになって。結局そこでは2年間働きましたが、そう考えるようになってからは自分の中でも変化がありました。
けれどその後、もうずっとここで働き続けなきゃいけないなというようなところまで来たという感じがあって。やはりもう1度集中して制作をしたいという思いもあり、大学院に進みました。
IL__その後、大学院では修了制作「王国をつくりなさい。」を作られました。これもタイトルが素晴らしいですが、どういった作品なのでしょうか?
YM__これは自分が見た夢のお告げに従って作品を作りました。アール・ブリュットの作家たちが夢のお告げに従ってものを作るというのはよくある話なのですが、それが自分にもついにきた!と思って。自分にとっても必然的なものが作れたのかなと思っています。
しかしこの時も、お告げが来たラッキー!と思ってしまう自分に対する罪悪感も同時にありましたが…。
IL__罪悪感…やっぱりそうなるんですね。(笑)
今までの作品について話を伺う中で、室井さんは、制作をどこか自分の外部に委ねるというか、コントロール外にあえて仕向けるような意識があるのかなと思ったのですが、その辺りはどう思いますか?
YM__そうですね。やっぱりものとか外部の環境に支配はされていると思います。制作のきっかけも何かを見ていいなと思ったり、それを組み入れてみようというところだったりするので。まあでも従っているようで、結局そういうものを探しに行っているという意味ではやっぱり搾取はしてしまっているんだろうなとは思いますが…。
ただそれはやっぱり、表現者は絶対的に正義にはなり得ないと思っているので、割り切ってはいます。なので、そういう自分の外部の素晴らしいものから恩恵を受けて自分もより良いものを作ろう、みたいな姿勢が今の時点での考えです。