IL__2×2×2で現在開催している個展のタイトルでもある「Daisies」は、どのような経緯で生まれたものなのでしょうか?
FB__デイジー(ヒナギク)はイギリスではとても人気のある花です。どこにでも咲いている花ですが、とても繊細で、多くの儀式的な性質を持っています。私が最初に物作りをした記憶は、当時住んでいたアパートの近くの野原でデイジーの花冠を作っていたことです。最近、密教的なテーマにも興味を持つようになったのですが... 特に、密教的な物語が規範的な文化に対抗するものとしてどのように存在しているかということに興味があって。「Daisies」というタイトルは、私の個人的な体験とカタルシスから生まれた作品をまとめるのに、最も適切なタイトルであるように思えました。
デイジーは私の作品に繰り返し登場するモチーフの一つでもあり、そして、私の妹の名前でもあります。今回の展示で発表する「H is for Help」と「Study for a Daisy Chained Walk」でも、デイジーのモチーフは使われています。私は不良というか、だいぶ問題のある子供だったんですが、でもそれと反して、公園で友達と一緒にデイジーを紡いでは花冠を作って遊んでいたような側面もありました。今思い返すと、何かの民族の儀式のようでしたね。自分の中でデイジーは、個人的なものと神秘的なものの衝突のメタファーのような位置付けです。私は鎖もモチーフとしてよく使うのですが、「H is for Help」はそれを発展させたものです。
IL__フランチェスカさん作品からは言語への関心が現れていますよね。例えば、「D.R.Care」と「Hell 1」では、テキストとイメージが並列にして配置されています。これらはどのようにして結びつけられているのでしょうか?
FB__先ほど少し話しましたが、テキストとイメージの関係性は必ずしも論理的なものではありません。
テキストとイメージを融合させることに関しては、ポスターのような商業的なデザインが強いタイポグラフィーを使うことで、よりイメージを魅力的に見せる手法に影響されています。私はデザインされていたり、凝っているイメージにファンタジーの要素が加わっているものが好きで。小さい頃に見たケルズの書は本当に感動しました。私が見たのは小さな複製版でしたが、その細部のまで丁寧に作られているディテールに畏敬の念を覚えました。
IL__油絵やドローイングの他にも、最近は木彫作品をたくさん作られていますね。例えば、「Daisies」で発表している「S.A.」は、レリーフがあしらわれた木彫のフレームにドローイングが配置されている作品ですが、このシリーズはどのようにして始められたのでしょうか?
FB__私が木を素材として使うようになったのは、元々はドローイングを展示する際にフレームが必要であった、というかなり実用的な理由でした。それ以降、ドローイング以外にも布と組み合わせてみたりして、木彫作品単体として発展させようと試みています。木彫は、私が描くドローイングの中に存在する建築形態の延長線上にあります。最近気付いたのは、木を彫るプロセスは、私が絵を描くプロセスと似ているということです。
IL__フランチェスカさんの作品に共通しているのは、非常に緻密に作られているということです。外から見ていると、1つの作品を作るのにかなりの時間がかかっているように見えますが、制作に長い時間をかけることはフランチェスカさんにとって特別な意味を持つのでしょうか?
また今後油絵を制作の主軸を戻すことはあるのでしょうか?
FB__私は自分の事を挫折した風景画家だと思っていて... 最近は油絵以外のメディアを使って制作をすることが多くなってきましたが、いずれは絵画に戻ってしまうのかもしれません。私の作品は、精神の自己手術のようなものだと思っています。最終的には、絵画、ドローイング、彫刻、そして文章を通して、内面化された主題の造形を表現したいと考えていて。今は、これまで自分が見落としていた素材の新しい組み合わせ(木彫とテキスタイル等)を模索するのに楽しみを感じています。
私にとって作品とは、カタルシスのプロセスを伴う、感情、そして喪失感の風景が具現化されたものなんです... しかし、必ずしも、作品を悲しいものや憂鬱なものとして捉えているわけではありません。私の専門は絵画になりますが、最近では工芸的なプロセスを用いることが多くなっています。作品には多くの労働力が含まれていることが主で、制作にかかる時間が作品の素材と連動していることを意味します。制作に着手する際には、綿密に練られたデザインが大抵あるのですが、作業中にそのデザインとは異なっていくこともあります。予想していなかった、ディテールが現れた時などは、非常にワクワクしますね。もっともっと手の込んだ作品になればいいなと思っています。
IL__数字の0と8、鎖や円など、無限大を連想させるイメージも多く取り入れていますが、モチーフはどのように決めているのですか?
FB__私の作品の中に登場するイメージとテキストは非文脈的に関係性づけられています。本来のテキストが持つ意味を解離され、私の選択した独自の方法で配置することにより、作品にサイケデリックな性質を内包させます。これらのモチーフを繰り返すことで、異なる意味(本来は存在すらしない意味)を解釈するための鍵となっていきます。紐解くということは、私の制作において欠かせないことだと思っています。繰り返し使われるモチーフは私にとっても指標のような存在となり、制作を円滑に行うための大切な要素です。
最近では、平面作品でも立体作品でも、‘重ねる’という事について深く考える必要があると感じています。私は、潜在意識にリンクしている迷路のように、自己生成的な要素がある作品が好きで。私の多くの作品で‘穴’がモチーフとして使われていて、例えば、鎖やポータル、幾何学的なリングのモチーフは、すべて‘穴’の要素が含まれています。また、「0」と「8」という数字も多用するモチーフの一つですが、繰り返すことで単なる数字ではなく、別の文字としての存在感を放つようになります。私の誕生日が1月8日であり、グレゴリオ暦の始まりの8日目でもあるので、私にとって「8」という数字は、重要な意味を持っています。また、「0」と「8」という数字は、無と永遠の両方を意味することが出来るという点でも気に入っています。永遠と無は人生の普遍的な描写であり、私が考える芸術という概念と近しいのです。
また「Dr. Care」というテキストも作品によく登場します。’Dr.’は医者の略で、"Care "とは制作中によく私の頭の中に浮かんでくる単語です。私の家族は精神衛生面に問題がある人が多く、私自身もその問題を抱えて生きてきました。若い頃に比べれば、今の私はずっと安定していますが、継続的なプロセスの賜物だと思います。’Care’は病気の治療と関連してよく使われていますが、セルフケア業界やウェルネス企業(健康促進企業)では(厄介なことに)文脈から外れた使い方をされています。
私たちの回りには、身体や健康が完全ではない人に背を向けるような、心無い人々が多く存在しています。これは、資本主義が生んだ抑圧の成れの果てだと私は考えていて。誤った規範性は様々な形で私たちの身の回りに存在していて、困難な事物に対してスペースや思慮が十分与えられていないことに対して、私はかなり批判的に感じています。年を重ねるごとに、この事実の異常性に気付き、怒りを覚えるようになりました。私にとって「Dr.Care」というテキストは、これらの問題と共鳴しています。また、自分がそういった問題に迎合されないように、警鐘的な意味合いでも使っているテキストの一つです。