IL__絵画を成立させるための条件…非常に興味深いです。そこに関してもう少し詳しく話を聞かせてもらえますか? 例えば、松下さんは何をもって絵画を絵画として認識しているのでしょうか?
KM__何をもって絵画として認識するのかは正直よく分からないし、個人の自由に委ねられているんじゃないかな。例えば、絵画を写した写真は、僕は絵画ではなく写真として受け取っていますね。このことから少なくとも、絵画というものは体がぶつかってしまうものであることは間違いないです。
IL__2016年に制作された『Buttery FL』についてお聞きできますか? 松下さんの絵画作品の中で初期の作品だと思うのですが、タイトルが非常に特徴的ですよね。描かれている絵は抽象的で記号のようにも見えますが、この作品の意図について教えてください。
KM__そうです。『Butterty FL』は発表した絵画の中でも初期の頃の作品で、アナグラムの手法を用いて描いています。正式には『Buttery FL』の前に『R read idea “MMIMM”』という作品を制作したのですが、これも同様の手法です。
絵画の条件のへりの部分について考えるようになって以降、名前というものに興味を持つようになりました。『Buttery FL』を制作する前、蝶が気になっていて、蝶にまつわる絵を描きたいなと考えていました。
名前という質量のないものによって作られる現象とかイメージ、蝶の開閉運動は生物をただ一本の線の中に閉じ込めようとします。そういった観点から、自分の蝶に対しての興味をButterflyという名前や、その特徴的な仕草から考察し、モノタイプでキャンバスに落とし込んでいった感覚です。
Butterflyという単語を分解して並べ換えると、Buttery FLという、バターのようなFL、バターのような質のFとL、蝶とは全く別の意味が発生する。そういったアングルや、並べ方で、異なった実体になってしまうという視点を示すのは自分の制作の上で主要な要素のひとつになっていきました。
IL__松下さんの言葉への興味は他の作品でも見受けられますが、特に、2019年の児玉画廊のグループ展『思考のリアル』で展示していた『Mom wine, I’m women』が気になります。あの作品だけ、作家名が松下悦子になってましたよね。
KM__タイトルの『Mom wine, I’m women』は、I'm womenをアナグラムして出てきたフレーズです。
僕は普段からノートに気になった名前や文章、自作の詩を書き留めているのですが、その中に書かれてあった’I am women’という文章がその時は引っかかりました。「女性である」という文章について考えている過程で自分の母方の祖母が出てきて… その祖母の名前が悦子なんです。姓は松下ではなく元臼といいます。そこから自分の振る舞いとか特徴、物事の認識の傾向とか、自分の自己形成の何パーセントかに関わっているであろう祖母の存在をなんらかの形で表現したいと思うようになりました。それについて考え始めると自分が描いた絵の割合についても気になってきて、たぶん、自分という存在は必ず99%以下で、残りの1%以上はこの『Mom wine, I'm women』の場合、祖母である悦子の想像力によって侵されるんじゃないかな。
ただ、「99%」も「1%」も、違いが全く理解できないようなままの自分がいるときもあります。先ほども話した通り、僕は物事の条件みたいなものを考えるのが好きで、例えば展示されている絵画はどの情報の範囲まで絵画なのかとか、額縁は絵画に含まれるのか、とか。そうやって考えていくと、最終的には自分がいる空間が絵画でない可能性すら疑わなくてはいけないことになってしまって…絵画を作る自分自身の名前のスケールにまでアナグラムの作用を適用することで、自分の中の絵画の枠組みの認識に対しての疑問や、それに対する姿勢みたいなものを見せようとしたんだと思います。松下悦子という名前が絵画の一部になりうる機会は、プライスリストの中であったり、ウェブ上で作品と同時に表示される場合であったりします。
IL__面白いですね。先ほどからお話に出てくるアナグラムや名前など、言葉に対しての興味が松下さんの絵画作品へと繋がっているように感じましたが、普段から文章を書いたりしていますか? また、言葉に対しての興味を持ったきっかけ等があれば教えてください。
KM__はい。気になった文章や名前をノートに書き留めたり、あとは詩を書いたりしてます。
元々、本を読むのが好きで、特に三島由紀夫やJ.D.サリンジャーにはとても影響を受けています。表現をすることのきっかけになったというか、最初に好きになったアーティストは誰?と聞かれたら、真っ先にこの二人の名前を先にあげると思います。あとはリチャード・プリンス。